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第二話            

今回は少し時間を飛ばして 平成五年の話をします。 

   此の年は、衆議院議員の中選挙区での最後の選挙の年でした。

今から話す事は当時 私の記憶に、無く後で周りの方々に聞い記憶している話ですが、 実話です。 当時私は、現職 亀井静香大臣の福山北部選対本部の副本部長をしていました。その日福山市内で 南部選対本部会議が行われていました。(亀井静香選対本部は、大きく南部と北部に分けてありました)選対会議が終わり私は、一級河川の芦田川の堤防を車で走り、北部選対事務所に向けて走って居たそうです。 前から来た車の方が、私の車がふらふらしているので気に成り、すれ違ってバックミラーで見たら、堤防上に車が無く成ってた、此は土手から落ちた!! と思い引き返して下さり私の車の所迄来て下さいました。車は上手く土手の下に降り倒れては居なかったそうです。 当時私は自動車電話を持って居ましたので、それで選対事務所に電話を掛けてはいましたが その時の私は既に意識が無く、受話器は繋がってますが口から涎を垂らし話は出来ない状態だったので、引き返し下さった方が受話器を取り、事の次第を選対事務所の当時事務局長だった、片山信行氏に伝えて下さり、事務所から数名が現場に駆け付けてくれた様です。 直ぐ救急車を呼ぼうにも、当時はまだ 自動車電話は出たばかりで 消防署には繋がりませんでしたので 南部選対本部に電話を掛けて 其処から消防署に電話を掛けて救急車を手配して貰ったそうです。だから選対本部は大騒ぎ 其処に運良く、脳外科の大田記念病院の院長が居られたので、大田記念病院に搬送されて入院と成り、体温がどんどん下がり 肛門から計らないと、検温も出来なく成ったそうです。看護婦さんに娘がまだ来ないんですがと、娘を捕まえて何度も言ったそうですが 娘は私が娘だと何度言っても解ってくれなかったと今でも話します。 遂に危険な時が迫り、医師から今夜が峠です!身内の方にご連絡ヶ在ればして下さいと告げられて、 身内が皆集まったそうですが 私は何も記憶に有りません。


私が気が付いたのは明くる日の昼前に、北部選対事務所に行って 事務所の皆さん方が幽霊が来た~。と叫ぶから何が幽霊なら~足が二本有ろうがと答えると今あんたの葬式の相談をしょたのに、選挙の最中に葬式を出さんといけん困った事だと、話しよたんよ、と言われたところから意識が戻りましたが 何故選対事務所居るのか、病院からどの様にして其処まで行ったのか、今も私には解りません。病院に送り返して貰いましたが 私には事の経緯は何も解りませんでした、医師の説明で漸く理解をして、実は私は過去に二回脳血栓を患ってると話しましたところ。どこで診て貰ったかと聞かれ、神辺町の三上病院ですと答えました。 数日後MRIの検査を受けて結果を診たら、何処にも異常は無い。過去の病巣も無く成ってる、こんな馬鹿な事はない!医師曰わく、儂はアノ夜何をしたんだ? あの様に成る痕跡が何も無い! まして脳血栓に於いて過去の病巣消えることなど・無いんだ!と言われました。でも私の体には・無いことが 事実.起きました。26度の体温から生還し・無いことが起きました。院長曰わく神仏の為せる技以外に説明の仕様が無いと言われました、この世には 人智を超えた奇跡も在るのだ!神仏の加護が  惲  事務局長片山信行氏は 現在 不動院の信者総代をしていただいてます。

  引き返して下さった方は 福山市山手町山郷のハタ電気店の御主人でしたので、後日御礼に伺い厚くお礼を申しました、私は此で二度死の淵を離れ生還したのです、二度有ることは、三度有ると、と言われますから次の体験を又話させていただきます。

   
   
   
   
   
 

私の四国遍路に於ける、大師信仰(不動明王)奇跡的な御利益の実例を交通事故 ・心臓病(環不全) 脳血栓・腎臓結石・胆石・肝臓病 等に付いて逐次お話してみたいと思います。

此は私の体験に依る実話ですこれらを乗り越えて今の霊媒師としての私が有ります。


初めに交通事故に付いてお話します。 

私が二十一才の冬の事です。私は市内の内海運送さんに、ドライバーとして勤め福山、大阪間の大型トラックに乗っていました。 此から話す事は入院中、又退院してから聞いた話を綴ります。 何故なら私は事故に依る記憶喪失に成っていたのです  ある日・ある時・私は、病院のベッドに居ました。 何故其処に居るのか? 自分の名前もわかりませんでした。必死に考えてみましたが分かりません。其処に看護師さんが来て名前と交通事故で運ばれて来たこと 一週間意識が無かった事等知りました  その日明石の警察官も来られまして 事情聴取を受けましたが何も話せませんでした  記憶が一切有りません。 運転していたのか、寝てたのか、何処の会社に勤めてたのかも事故の前後も解らないのです。思い出せないのです。  警察官に依ると 私は交代運転手と二人の乗務だった。 私達の車が燃料エンコで明石市の魚住というところで止まり 福山通運のトラックが牽引してくれるために 前に止まり掛け終わった処に、 次に来た福山通運のトラックが心配して 後ろに止まり運転手が降りてきてくれたとの事でした。私達の話で安心して、それじゃあ先に行くでと、出掛けにハンドル切り足らず私達の車に追突したのだそうです。 

私と同僚の佐藤さんは車の間に挟まれ佐藤さんは頭が煎餅の様になり、即死だったとの事、 私は頭を強打し右目の外側を裂傷してるとの事でした。 明くる日、母が来てくれましたしかし、母とは解りません。母だと聴かされ母と悟る、 其処に従兄弟の高田昇が来てくれました。しかし、母と同じ様に従兄弟と名乗られ従兄弟と悟る、 しかし私は生きて居る生の籍に身を置いて居る! 僅か肩幅の差が生と死を分けて 否僅かに十センチが私の命を与えてくれた。此は神、仏、の加護以外の何物でも無いと今も信じてます。 因みに 今現在も何故燃料エンコしたのか、どちらが運転していたのか記憶は喪失したままです当時の私は黒住教信者でした。


今は、金剛仏師で権大僧都拝命してます

   
   
   
   
   
   
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