現在のページ:ホーム>四国お遍路02
 

住職の体験談

住職の体験談を紹介しています
 
  >>お遍路01へ
  >>お遍路02へ
   
   
   
   
 

十一月一八日通算31日目


午前4時「旅館つるや」を出る 6時45分三角寺に着く


伊予の関所と言われる三角寺は、御遍路さんでどんなに積み深い人でも御参りするとたちどころに、
罪が許されて 仏様の様な御姿で次の讃岐の霊場を御参りする事が出来ると言われていますよ。
三角寺の由来は御大師様がこの寺に来られて 御本尊十一面観世音を刻まれて その時三角形の
護摩壇を築いて21日間、国家の安泰、万民の幸せを願い護摩を焚かれました。
四国霊場の中で御大師様が,降伏法の護摩を修行されたのはこの寺だけなのでこれ以来三角寺
と言われる様に成りました。


7時半三角寺を後にして番外寺 椿堂を経て雲辺寺へと歩みを進めます。

境目トンネルを出た所に有る食事処水車で十時五+分早昼飯を食べる。
佐野経由で徳島自動車道下くぐり海抜240から665メートルまで、急勾配の坂道を上がるとあと
二キロメートルで雲辺寺です。雲辺寺到着十四時半
本堂には石の御本尊が安置されてます。
本堂上の毘沙門塔内には四国霊場の版画が展示してありますよ。
霊場の中で一番高い処にある札所です。本堂の中がも少し広ければ皆さん喜んだのにな 。
この寺は下るのも大変なんですよ900メートルの高さから四.三キロで海抜172メートル迄下る坂道です。
宿到着18 時20分朝早くから高い山二山越えたのでグロッキーです。歩き遍路は大変な修行ですね。

   
 
紅葉の綺麗な三角寺大師堂
新築の雲辺寺の本堂を紅葉越しに見る
 
   
   
   
   
  十一月十七日午前二時 京屋旅館出発皆さん夜中の夢だよ。
歩きだすと旅館の犬が二匹供をしてくれてる。
前神寺に降りる三叉路過ぎてもついてくる、鳥居を過ぎてもついてくる。
後に成り先に成り 20分過ぎても30分過ぎてもついてくる、「
[「何処まで送ってくれるの」と聞いても返事はくれない、でも未だついてくる
高速道路が見えてきた、それでも2匹供ついてくる。高速道路の下を右に曲がってもついてくる。
「有難うもう良いから帰れよ、遠くまで有難う」と言ってもついてくる。高速道路脇の坂道を上がりきった処で
振り返ると2匹供立ち止まって此方を見てる、やっと帰る気に成ったらしい。
「有り難う 気おつけて帰れよ。ありがとうありか゛とう・・・・・何故か涙が出てきた」こんな夜中に1時間も
私の供をしてくれて・・・・・・前神寺迄あと少し頑張ろう

前神寺到着午前3時半この寺は千三百年前役の行者が石鎚山で修業しているとき釈迦如来と阿弥陀如来が
この世の人々を救う為に蔵王権現となって現れ、これを祀ったのが前神寺の始まりだそうです。
後に弘法大師が石鎚山で、虚空蔵求聞持法を修されて札所と定められました。
前神寺午前四時出発 加茂川を渡り一路三角寺へと暗い夜道をひたすら歩く。今夜の宿は伊予三島の旅館つるやです。
七時半新居浜病院前のファミリーマートで朝飯

昼杉に番外寺の延命寺通過  十七時20分宿入り大変疲れました。明日は3時起床4時発です。
   
   
 

平成二十二年十一月十六日午前二時、伊予桜井駅前出発三津屋東で朝飯午前六時出発
中山川より冠雪の石槌山を遠望する.

 午前六時五十分。

  今日は 歩きを変えて63 吉祥寺 62宝寿寺 61香園寺 60横峰寺 と逆に巡拝してみます。
横峰寺下の 京屋旅館の温泉と大好物の子持ち鮎を共に味わいたいから・・・・・・・・。
七時吉祥寺到着 此処は四国霊場唯一の毘沙門天が御本尊で、寺の名前の由来と成った
吉祥天共に 御大師様が刻まれた仏像が安置されているとの事です。

62番宝寿寺は寺の歴史を 今の世も繰り返すが如く本堂の観音様が大師堂に移転、
大師堂の御大師様が隣に移転、数年経つも変わり無く時は過ぎて行く。
14番国分寺の 大師堂よりは心が安らぐけれども・・・・・・・・
納経料収入は・・・何処も同じはずなのに不思議ですね。


61番 香園寺、子安大師で有名な寺ですが初めて30数年前に訪れた時は、
頭に描く寺のイメージとは程遠いい・鉄筋コンクリートの寺の容姿驚いた事を今も思い出します。
   
   
   
   
 

通算27日目

9月24日午前五時ホテルを出る。

7 時 47分太山寺到着  太山寺には捻じれ竹の言い伝えがあるそうですが次回にします。

 

円明寺には日本最古と言われる 銅の納め札が有ります。
江戸の初めのものだそうです、
米国のスタール博士が本尊の逗子の上に打ちつけてある
銅版の納め札を見つけて高く評価した事から、広く世間に知られる様に成ったそうです  

この日は一日歩け歩けの一日で今治市大西で宿を取りました。
25
日今朝は宿で食事を済ませて 延命寺を打ち終え市営墓地を通り抜け
南光坊へと向かいました。南光坊は大師堂の工事も済んでおり屋根が綺麗に成ってました。
泰山寺に行く途中で ゲートボールを楽しんで居られた方たちから昼御飯の接待を戴きました。
御馳走様でした。

泰山寺では 赤杖の二人か゛後から参られていつの間やら居なく成ってる。
昇補の為に回数のみを稼ぐ  寺に行った判取りゲームを見る様であった。
公認先達の意味 任務を全く理解して無い、先達は他の巡拝者を誘って初めて公認先達の
意義が有るのでは無かろうか

泰山寺、永福寺と打ち終えて 仙遊寺山門に十四時に入りました。
途中に有る加持水で喉を潤し、最後の階段を上がりきると 御大師様が出迎えて下さいました。
私が四国遍路を始めた頃は 本堂裏手の車道はやっと出来たばかり その頃は眼下には
一面の田園が広がり 秋には小金の波が目いっぱいに広がり見事に綺麗で有ったのを覚えてます。
山門の仁王様も 未だ本堂脇に有りましたよ。

仙遊寺を後にして 国分寺へと階段を降り山を越えて歩みを進めますが 一日の終わりに近い
山道、長く続く階段状のの下り坂はきついですね。
十六時十八分59番国分寺に到着。

山門の手前にタオルの土産物を売る御店が有りますが この店の主人何時も(南無大師遍照金剛」
と唱えながらお接待を店の前を通る巡拝者皆さんにされてますが、中には避けて通ったり 要らないと
手を横に振り逃げる方が居ます。 公認先達が付いて案内をしてるのに先達は基本のマナーを
キチンと身に就けて 先達の任務を全うして欲しいものです。
因みに お接待をされてる方は 布施業されているのですから御断りせずに「有難う」と言いつつ
御受取下さい。 
接待の返礼に 自分の納め札を渡すのも忘れない様にして下さい。[白の御札」でも臆せずにお渡しください。
そうする事により彼方も布施業のお手伝いをする事が出来るのですよ。
お接待を拒否する事は 十善戒の中に有る戒めの不盗に値する事になります。
何故ならば 布施業の「ジャマ」をすることに成るからです。そうならない様に有りがたく戴いて下さいね。

国分寺を打ち終えて伊予桜井駅から 18:30発今治行き乗換て松山へ又乗り換えて内子着19:54着
乗り継ぎは時間が掛かりますね。そこから車を預けてるローソン迄行き家路に向かう

 
 
円明寺山門
 
 
 
日本最古の銅版の納め札
仙遊寺山門14 時着
 
   
 
国分寺本堂16:18着
   
   
   
 

昼過ぎ48番西林寺に到着 西林寺は四国霊場の中で唯一階段を下り山門に入る寺です。
(邪悪な心を持って山門に入ると 無限地獄に落ちる」 と言い伝えられてます。

浄土寺を打  ち終えて 50番繁多寺に辿り着きました。
繁多寺は 朝早く御参りすると 近所の方々が雨の日でもラジオ体操をされてます  

16時過ぎ51 番石手寺に入りました。


石手寺には 四国遍路の祖と言われる 衛門三郎の言い伝えが有ります。
伊予の豪族で強欲な衛門三郎の門前に ある日みすぼらしい托鉢僧が現われましたが
布施をするどころか追い返してしまいました。
日を変えて又托鉢僧が現われたので・衛門三郎は手にした鍬で托鉢僧が手にしていた鉄鉢を
叩き落としました。
すると鉄鉢は八つに割れて飛び散ったそうです。
衛門三郎には八人の子供が居たのですが、翌日より毎日一人づつ八日間しんでいき ました。
さすがに強欲な衛門三郎も大変悲しみ僧に対して大変無礼な事をしたと反省して
あの方こそ御大師様に 違いない逢ってお詫びしなければと、蓄えていた私財を貧しい人や寺に寄付して、わが身一つで御大師様の後を追い、出かけました。
しかし八十八箇所を20回巡っても、御大師様には会えず、21回目12番焼山寺心身共に疲労し尽くして
倒れてしまった所に御大師様が現われて「悪人であったが懺悔して、修行したので罪は消滅した.依って授けるものがある。」と言って小石に「衛門三郎」 と名を刻んだ物を与えられました。
間もなく衛門三郎は御大師様を拝みながら死にましたが 数年のち伊予の殿様に男の子が生まれました。
しかしこの子は左手を握りしめたまま 開かないので安養寺に連れて行き祈念すると たちどころに開き、「衛門三郎」 と刻まれた小石が出てきたのです。
人々は衛門三郎の生まれ変わりであることを知り、因縁の不思議を知り驚きました。
其の時より安養寺は石手寺と名を改め、 その小石は今も寺宝として残されているそうです

十七時七分道後温泉到着町はずれのビジネスホテル迄歩いて行きとまる
明日は午前五時発

 
雨にかすむ八坂寺山門 石手寺本堂 道後温泉からくり時計台前で
   
   
   
  九月二十二日
岩屋寺を打ち終えて 打ちもどりの途中にある国民宿舎古岩屋荘で昨日依りの疲れを癒やす為と 今夜の寝る所を確保する為に温泉に入りました。
温泉の中で知り合った九万町の小黒泰吉さんといわれる方が(今夜の宿はどこに泊まるの」 と聞かれたので「野宿です まだ時間も有るから九万まで歩き 大宝寺の下の土産物店の御主人の病気加持を約束してるので其れを済ませてから寝る所は考えます」 と答えると 「寝るだけなら俺の家に寝たら良いよ 俺は独り者だから土産物店迄は後で迎えに行ってあげる」
と言われたので 有りがたく御厚意に甘えました 小黒さんありがとうございました。
   
 

九月二十三日
午前五時小黒さん宅を出発  三坂峠へと向かいました。

峠から下り中ほどまで来ると大変珍しいものを見つけました。 何と其れはガマガエルです 前足の指が四本 後ろ足の指が六本 四六のガマなのです。大道芸の「ガマの油売り」 に出てくるガマですよ。

 
 
 
  モッコに入れて前後に担ぎ  山裾迄運ばれました。
   
   
   
  杉並木を通り過ぎ 大宝寺迄後五キロまだ暗いし山道なのでゆっくりあるきます。
 
 
大宝寺下のいつも寄る売店に入ると奥さんが「朝ご飯は食べたの? 」 と聞かれたので 「未だです。」 と答えると温かいご飯に味噌汁 漬物を出して下さいました。

御主人の姿が見えないので 尋ねると体調が悪いとの事・私は霊媒師であり 加持祈祷師有ることを伝え 御加持を施し錦の納め札をお守りとして開眼していつものお接待のお礼として お渡し帰りに今一度加持する事を伝え大宝寺へと向かいました。
大宝寺は文武天皇の勅願により建てられその時の年号をとって大宝寺と名付けられました
 

 

 

迫割行場 大宝寺を出て勾配のきつい八丁坂を上り 岩屋寺手前の山頂に昔あった
茶店跡を通り 八大童子 三十六童子の行場通る時此の背割り行場があります。
山頂に白山大権現が安置されてます

 
  お大師様がこの地に来られた時お大師様の力を見抜いた゛不思議な神通力を持つ
女の法華仙人が 大師に此の地を修行の場として差し上げることにした時己の力を
見せる為に大師に峰と峰の間から教本を中空に投げていただき其れを仙人は
宙に舞い教本を掴み帰る時岩山を突き抜け出来たのがこの行場です
狭くて急な所を鎖を使い登ると 今度は狭くて急な梯子が有ります
其れを上り険しい横道を行くと今度は
少し幅の広い梯子がまたあります   上がりきると畳二畳程の広さで岩の小山の中心に
白山大権現が安置されぐるりは手で持つだけの細い鉄筋が有り其れに摑まり
読経します。
危険な行場なので 寺が認めた先達が居ないと入口の鍵が貸して戴けません
 
   
  岩屋寺山門こちらが表山門です
お大師様は霊場を開くときに 木造と石造の二体の不動明王刻まれ木造の不動明王を本堂に石造の不動明王を岩山に封じて山そのものを御本尊不動明王とされたのです。
それ故に岩屋寺は建物は 本堂より大師堂が大きいが  実は山全体が
本尊であるため我々は仏の体内に入り拝んでいるのですたい。
 
   
  岩屋寺よりの帰り道
   
   
   
  >>お遍路02へ
  >>お遍路01へ
  ホームへ
   
 不動院