四国お遍路 その3(5月)
Shikoku Ohenro 3(May)

四国お遍路 その1(3月)
四国お遍路 その2(4月)
四国お遍路 その3(5月)
四国お遍路 その4(6月)
四国お遍路 その5(8月)
四国お遍路 その6(9月)
四国お遍路 その7(11月)
住職の体験談

 

5月2日

午後7時
福山市を出発 28番札所のある、野市の駅前に車を置いて、21時58分発。
奈半利行きで奈半利迄行き、  奈半利駅で 朝一便で室戸岬迄行く積もりで、野宿の支度をしていたら、親切な方が室戸に帰るから、( 岬迄接待させて下さい)!と言われ喜んで接待を受けて、その日にありがたいことに室戸岬迄行く事が出来ました。
岬で野宿をして、朝一で24番最御岬寺を打ち終え、 7時45分山門を出まして、 25番 津照寺 通称、津寺前の港です。最御岬寺は室戸岬の発端に位置し太平洋の荒波を受ける、土佐第1番の札所で お大師は岬の突端近くにある、御蔵洞と呼ばれる、洞窟で(求聞持の法)を成し遂げられて、「お坊さんになる決心をされたと」、言われており、又、空海の海はここから、名付けられたと言われてます。 またここには、”食わずの芋”の伝説があります。欲深い婆さんが腹の空いた、お大師が 芋を所望されると、「この芋は固くて食べらんない」と言われて、仕方無く諦めて立ち去られました。ところが婆さんが家に帰り食べようとしても 固くて食べられなくなり、以後、婆さんの作る芋は固くて食べられなくなったそうです。

今日は 今までに言い忘れてた事を書いてみたいと思います。
納め札、お賽銭は出来るだけ左手から右回りにされると混雑しないで良いですよ。 又色の納め札を受ける時、納めた方が目の前で読経して居られたら、読経が済むまで待つ節度は欲しいものです。酷い方は、札を納めて手を引いたら、直ぐに取り出し会釈もしないし、御本尊にお礼もしない、隠しながら去っていく、見事な泥棒ですね? その様な不作法な方に功徳が在る事はないでしよう。慎みたいものです。
錦の札の功徳は 金の札と同じ様に、糸を解して 水に浮かべて光明真言宗、大師法号を各三反唱えて飲むと病気加持に功徳が在ると伝えられてます。また車の御守り、病気の時枕の下に半紙に包んで敷いて寝る。肌守りとして袋に入れて首に吊す等色々とありますが、錦の御札は、銀、金、それぞれの御札の全ての功徳力を併せて持ってます。しかし、前述の様な行いでは 百害有って一利無しですよ。 1番良いのは、本人から手渡しでいただくのです。もしいただく機会がありましたら、必ず自分の納め札をお返しに差し出しお礼を述べる事は忘れないようにしましよう。
※御接待をいただいた時も同様です 御接待いただく時大師法号3回唱えるのも作法の一つですよ。御接待は布施行の一つですから、時には道に正座をして、(御接待させて下さい)と両手で頂より高く差し上げ平身低頭して布施行されてる方も在りますからね!! 真剣ですよ。御接待は強要するものではありませんよ。
ツアー先達で酷い方は、あの人は金の札を持ってるからもらって来たら?とツアーの方をけしかける先達さんもいますからね。 先達の何たるかも理解してない可哀想な方で在ると同時に、推薦寺院の在り方が?又、霊場会に於ける先達補任、昇補の講習会の内容にも盛り込んで頂いて質の良いツアー先達を養成していただきたいと思うのは私一人では無いと思いますが、  叱責あれば下座平身して承ります。

今日はお詣りし、読経するときのマナー、作法について私的に述べてみたいと思います。 御仏の前ですから、調服、とまではいかなくても、意義を正して読経したいものですね。 読経の時多人数の場合、左右どちらかに固まり、整列して欲しいです! 他のお詣りの方の邪魔にならないよう そして前に詰めて、整列して欲しいです。何故なら、読経中に他の人が前を横切らなくても済むように、後ろを空けて置くためです。前を横切る事は、経を遮られる事にりますから、出来るだけその様な事の無いようにしたいですからね。 貴方も、その様な不作法は、しないように気を付けて下さい。
その時、特に気を付けて欲しいのは、納め札、写経、賽銭箱などの所は他のお詣りの方々のの邪魔にならないように、空けて置いて下さい。邪魔をする事は相手の時間を取る事になりますからね。 四国遍路は死出の旅路の支度、又己の修業の道場ですから 自己の研鑽にも勤しんで欲しいものです 読経の声は、殊更大きく出す必要はありません。普通の声で大丈夫ですよ! 隣り 近くに他の方々居られたら、迷惑にならない程度の声で読経する気遣いは欲しいものです。

5月3日

午前11時、金剛頂寺着、駐車場にある 貨車の売店 でコーヒーを頼み一息入れる。
室戸岬から3時間結構早い時間ですよ。 コーヒー代金を払おうとすると、奥さんが歩き遍路さんだから、御接待しますよ。と言われ有り難くお受けして 錦の御札をお渡ししました。ご馳走様でした。
金剛頂寺は、鯨の嬰児を沢山ご供養されてます、 昭和50年代には、鯨のミニ博物館がありましたよ。御本尊薬師如来様は弘法大師様の作品で完成した時に、お大師が(早く行って座りなさい)と言われると、薬師如来様は自分で本堂の扉を開けて鎮座在したと伝えられています。
4年前には、金剛頂寺大師堂の濡れ縁で一夜を明かしました、12時キラメッセ室戸で鯨カレーを食べたら大変美味しかったです。 鯨のカレーは、福山では食べる事は出来ないですからね! 本当に美味しかったです。
   足が少し痛くなってきたので、 ゆっくり休んで出発しましたが、ドライブインなぎさ近くで豆が2カ所でき、かなり歩いたので少し早いがバスで神峰寺下の民宿きんしょう迄行きました。

この写真は、津照寺前の港です。
津照寺は通称津寺と呼ばれています。本尊延命地蔵菩薩様は、別名舵取り地蔵菩薩とも呼ばれています。これは土佐藩主山内公が室戸岬の沖を航行中、に嵐に襲われあわや遭難かと思われた時、突如として1人の僧が現れて船の舵を取り無事に室津の港に入る事が出来ました。しかし、そこには先程の僧の姿はどこにも見えませんでした。ともかく助かったのは、神仏のおかげと、山内公は津寺へ無事の御礼にと詣られまして、 驚かれたことに 本尊延命地蔵菩薩様は全身びしょ濡れでした。
山内公は船を操り助けてくれたのは、このお地蔵様だと悟りこれ以来(舵取り地蔵さん)と呼ばれ、津寺は海の守り本尊として、海で働く人々の厚い信仰を受け続けています。
  遠洋漁業に出るときは船で沖合いに参り汽笛を鳴らし数回円を描いて出漁するとの事ですよ

津照寺前の港

5月4日

午前4時起床、 身支度をしてタクシーで昨日のドライブインなぎさ迄行き、5時より歩き始めました。
神峰寺迄13.5キロです 神峰寺の坂道は勾配がキツく45度近い急な坂道が1キロ以上もあり険しい遍路道でした。苦しみ 苦しみ、喘ぎながら登と本堂にたどり着いた時の喜びは、比例して大きなものとなります。
山門を入り、納経所の前を過ぎ 土佐の名水で喉を潤し、又、稲妻形の階段を登りやっと本堂にたどり着いた。 本尊十一面観世音菩薩様に挨拶し読経を済ますと、土佐の関所を通過の喜びが湧いて来ます。
この山は地殻変動により隆起して出来た断層等があり、興味深い所ですよ。
10時半、とうのはま駅前通過。
道の駅大山で昼食。ここの鯨カレーもおすすめですよ。
安芸市民球場前駅からひと駅引き返して、 ホテルタマイに宿泊、 明日はゆっくり休んで出発します。

5月5日

朝8時出発。
13時、のいち駅着。 今回はこれで帰ります。
28番大日寺からは、既に1月11日から3泊4日で須崎のあわ駅迄歩いてますので次回は、あわ駅より歩きます。

遍路一言
拝む前に 祈願の言葉を。 平たく言えば、お願い事ですね、 これは、声を出してハッキリと言って下さいよ。 一番大事な事ですからね、 命を掛けて、金を使い時間を使い四国の地にやっと来たんだから。目的が、願いが、叶う様にしっかりとお願いしてください。 相手(仏様)に伝わらないと意味ないよ。
コミュニケーションとは伝達 だよね。

のいち駅にて

5月21日、22日

2日間に渡り 世界遺産となりました 大峰奥駈入峰修行に参加させていただきました。

天台寺門宗は紗那業止観業及び修験道の三密からなりたっていますので修験道の修行。大切なもので、本宗教師は常に修験、紗那双方の僧階を受けています。21日朝5時起床し修験道装束に身を固めて、三井寺山内の諸堂を巡拝をすませ、7時、一路熊野に向けて出発しました。 

11時、速大社に詣で内拝入峰祈願し御祓いと御神酒をいただきました。

12時40分、 那智山の西国三十三観音1番青岸渡寺にお詣り、読経後茶菓の接待を受けて副住職高木師のご挨拶も頂きました。

13時20分、那智大社参内。

13時50分 那智の滝参内

16時、熊野本宮瑞鳳殿に宿泊。
明日は1時起床、1時40分出発です

 

5月23日

1時40分出発、速い。
奥駈けと言うだけある。 私のペースでは無いですね、奥駆け道入り口の橋迄に凄く感じました。
皆さん若い40代迄が20人、50代が8人、60代が5人、70歳が1人 。この方は10回目です。最高齢71歳1人、この方は20回目です。因みに座間僧上は62歳32回目。福家僧上は50歳27回目の入奉修行です。感嘆の他に言葉無しです。私は68歳と11ヶ月10日、初入奉修行ですが無謀に近い感じが現実見を帯びて来ました。
1時50分、十二所権現にお詣り読経後、 供え崎石窟済ませて七越に3時に到着。読経、ここ迄は速くても四国霊場の遍路路と大差無く、只歩く速さに周りを見る余裕は無く、後ろを振り向く余裕も私にはありません。
吹越、吹越の宮、を打ち終えて山在峠に着いたのが、4時半過ぎ、大黒天岳5時20分到着。 やっと思い出して写真を1枚。 途中、雲海の綺麗な所があり、一服の涼を取らせていただきましたが、 今500メール代の高さですが最高峰は玉置山の1000メートルを越す山と聞かされました 。 写真を撮る余裕は無く只皆さんの迷惑にならない様頑張るぞ、 と我が身に言い聞かせて 歩を進めました。

金剛多和、5時45分時間通りに到着読経、まだ半分にも来てない!
これから五大尊岳に向かって2時間歩きます。 歩きながら気が付いた。 ここは修行の道である!途中、他の道と出会う事がない?道は獣道の如く、細く自然のまま、木の根は縦横無尽に土の上に出て居るし、枯れ枝、枯れ葉も積もり放題だから、足元は滑るし 躓くし、斜面の道は細く傾斜してる。片方は千尋の谷片方は急斜面、杖を持って居てもその杖を突く道幅がない!
竧 かと思うと、 目の前に岩が突き出た!
40度以上もある急斜面、杖が邪魔になる?携帯電話の紐を取り杖に結びつけて、両手が使える様にして、岩を掴み 木の根を掴み、周りの木にすがり急斜面を登って行く!
約3時間も続くよ、と言われ巐冷や汗ダラリ。正に自信の無い者、既に自信を失いつつある私には、修行の道ではあるが、 他の道に逃げる事の出来ない!
後ろに引き返す事も出来ない!
只皆さんに迷惑掛けずに、 玉置神社迄たどり着ける様神仏に祈りながら、一歩また一歩と歩を運んで行きました。

大水の森、海抜1,044メートル、 ここで大休みをしました。
水の支度が乏しかったので、 同行の方から一本接待していただきました。
ありがとうございました。惲 他の皆さんからも いろんなお接待をいただきながらの 修行道半ばでした。

大森山山頂1,077メートル、皆さんのお陰でやっと山頂です。
足に軽い痙が来て、両足の限界点を感じ始めた事を 先達に伝えると、若い修行僧が急斜面でリュックを後ろから持ち上げてくれました。急斜面行くと後ろから持ち上げて介助してくれたので何とか、ここ迄歩を運ぶ事が出来ました。 心から御礼申します。ありがとうございます。
後これから玉置山迄 急斜面の下り坂、そして急斜面の登り坂が続くそうです。一生懸命頑張りますので宜しくお願いします。
水呑み金剛迄下りの急斜面を降りて行きますが、私は行き戻りの部分は待機させていただき、休息をとらせてもらいました。
時刻は10時45分これから玉置山迄登り、下り繰り返しながら、1時間45分の行程が続くそうです。

12時29分、玉置山 玉置神社到着。やっとの想いで最終目的地迄たどり着けました。
長い長い時間約11時間の修行の道でした。 始めに座間僧上が四国の道とは比較にならないよ!と言われた言葉が歩いてみて、体験して納得しました。 今更ながら10回以上入奉修行されてる諸先輩の強靭な肉体と、それに宿る強靭にして精練なる精神に、心より敬意の誠を捧げ、先ずは、無事今回の大峰奥駈け入奉修行が成満出来た事を玉置神社御宝前に於いて、報告、 御礼の御法楽を捧げ、 これより本山三井寺に向けて帰る事となります。

 
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