四国お遍路 その7(11月)
Shikoku Ohenro 7(March)

四国お遍路 その1(3月)
四国お遍路 その2(4月)
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四国お遍路 その4(6月)
四国お遍路 その5(8月)
四国お遍路 その6(9月)
四国お遍路 その7(11月)
住職の体験談

 

11月16日

平成22年11月16日、午前2時。伊予桜井駅前出発、三津屋東で朝飯午前6時出発。
中山川より冠雪の石槌山を遠望する。

午前6時50分 冠雪の石槌山

今日は歩きを変えて、63番吉祥寺、62番宝寿寺、61番香園寺、60番横峰寺と逆に巡拝してみます。
横峰寺下の京屋旅館の温泉と大好物の子持ち鮎を共に味わいたいから・・・。

7時、吉祥寺到着。ここは四国霊場唯一の毘沙門天が御本尊で寺の名前の由来となった吉祥天共に、御大師様が刻まれた仏像が安置されているとの事です。
62番宝寿寺は寺の歴史を今の世も繰り返すが如く、本堂の観音様が大師堂に移転、大師堂の御大師様が隣に移転、数年経つも変わり無く時は過ぎて行く。14番国分寺の大師堂よりは心が安らぐけれども・・・。 納経料収入は、どこも同じはずなのに不思議ですね。
61番香園寺、子安大師で有名な寺ですが、初めて30数年前に訪れた時は、頭に描く寺のイメージとは程遠い、鉄筋コンクリートの寺の容姿に驚いた事を今も思い出します。

11月17日

11月17日、午前2時。京屋旅館出発、皆さん夜中の夢だよ。
歩きだすと旅館の犬が2匹供をしてくれてる。前神寺に降りる三叉路過ぎてもついてくる、鳥居を過ぎてもついてくる。後になり先になり20分過ぎても30分過ぎてもついてくる、 「どこまで送ってくれるの」と聞いても返事はくれない、でも未だついてくる。高速道路が見えてきた、それでも2匹供ついてくる。高速道路の下を右に曲がってもついてくる。「有難う、もう良いから帰れよ、遠くまで有難う」と言ってもついてくる。
高速道路脇の坂道を上がりきったところで振り返ると、2匹供立ち止まってこちらを見てる。やっと帰る気になったらしい。「有り難う、気おつけて帰れよ。ありがとうありがとう・・・、何故か涙が出てきた」こんな夜中に1時間も私の供をしてくれて・・・、前神寺迄あと少し頑張ろう。
前神寺、到着午前3時半。この寺は1300年前、役の行者が石鎚山で修業しているとき、釈迦如来と阿弥陀如来が、この世の人々を救う為に蔵王権現となって現れ、これを祀ったのが前神寺の始まりだそうです。後に弘法大師が石鎚山で、虚空蔵求聞持法を修されて札所と定められました。
前神寺、午前4時出発。加茂川を渡り、一路三角寺へと暗い夜道をひたすら歩く。今夜の宿は伊予三島の旅館つるやです。
7時半、新居浜病院前のファミリーマートで朝飯。昼過ぎに番外寺の延命寺通過17時20分、宿入り大変疲れました。
明日は3時起床、4時発です。

11月18日

11月18日、通算31日目。
午前4時「旅館つるや」を出る、6時45分三角寺に着く。
伊予の関所と言われる三角寺は、御遍路さんでどんなに罪深い人でも御参りするとたちどころに、「罪が許されて仏様の様な御姿で、次の讃岐の霊場を御参りする事が出来る」と言われていますよ。
三角寺の由来は御大師様がこの寺に来られて、御本尊十一面観世音を刻まれて、その時三角形の護摩壇を築いて21日間、国家の安泰、万民の幸せを願い護摩を焚かれました。
四国霊場の中で御大師様が、降伏法の護摩を修行されたのはこの寺だけなので、これ以来三角寺と言われる様になりました。
7時半、三角寺を後にして番外寺 椿堂を経て雲辺寺へと歩みを進めます。
境目トンネルを出た所にある食事処水車で10時50分、早昼飯を食べる。
佐野経由で徳島自動車道下くぐり海抜240から665メートルまで、急勾配の坂道を上がると、あと2キロメートルで雲辺寺です。
雲辺寺到着、14時半。本堂には石の御本尊が安置されてます。本堂上の毘沙門塔内には四国霊場の版画が展示してありますよ。
霊場の中で1番高いところにある札所です。本堂の中がも少し広ければ皆さん喜んだのにな。この寺は下るのも大変なんですよ。900メートルの高さから3、4キロで海抜172メートル迄下る坂道です。
宿到着18時20分、朝早くから高い山2山越えたのでグロッキーです。
歩き遍路は大変な修行ですね。

紅葉の綺麗な三角寺大師堂
雲辺寺 本堂を紅葉越しに
 
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